絶版文庫書誌集成
春陽文庫

「山手樹一郎短編時代小説全集」 全12巻 (やまてきいちろうたんぺんじだいしょうせつぜんしゅう)

*チラシ文
 山手文学はあらゆる人々の心にぜいたく感を与える料理と同じだ。 ― 波瀾にみちた長編ロマン群はたっぷりした華麗なコース料理の味で、数々の挿話をタネに仕込んだ珍味の妙を楽しませる。一方一品料理のすばらしさにもまたこの巨匠は腕の冴えをみせてくれた。
 人の世にいつも温かいいたわりで臨んだ山手樹一郎の真情は、寸暇のいこいの楽しみに読者
が短編を手にとるときにも失望させないエッセンスを圧縮して盛り込めてくれる。丹精の名短編の総結集は読者の心に溢れるような人間愛の尊さというぜいたく感を堪能させてくれるにちがいない。



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1 「矢一筋 他12編」 (やひとすじ)

*322頁 / 発行 1980年

*カバー文(作品案内 ― 文芸評論家 石井富士弥)
 珠玉の短編という賛辞は通り相場だ。目を奪い光輝く珠もあろう、しぶいいぶし銀のものもあろう。巨大な山手樹一郎短編群中初期の本巻は、まさにその前途を予見させる無欲澄明な光を秘めた、さわやかな珠玉の連環ともいえる。 ― 男が、そして女が、さわやかに生きるということがしだいに失われつつある現代。ここにはさわやかに生きた男と、そしてそれにふさわしく女もまた、やさしさと可憐さの中に、頼もしく生きた時代の感動をよみがえらせる世界がある。どぎつい娯楽小説に食傷し、なにか心の底までぜいたくにする。すてきな読み物はないかという人なら、この作家の豊かな人間愛と話術の妙に、新しい魅力を発見し熱中すること受け合いだ。
 日本映画史に残る「一年余日」(昭和8年、伊丹万作監督・片岡千恵蔵主演、改題『武道大鑑』)「うぐいす侍」(同14年、丸根賛太郎監督・片岡千恵蔵主演)の二出世作を含む収録十三編から、軍国主義の嵐の中に、おおらかで美しい不変の人間賛歌の“わが道”を切り開いてゆく ― 。

*目次(収録作品)
矢一筋 / 一年余日 / うぐいす侍 / 喧嘩大名 / 恋討手 / 紅だすき無頼 / 道連れ色珊瑚 / 二度目の花嫁 / 小父さん志士 / 恋名月 / 千両小町 / 男の土俵 / 山男が拾った娘
 対談・さむらい人生@ 井口秀/石井富士弥



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2 「将棋主従 他10編」 (しょうぎしゅじゅう)

*314頁 / 発行 1980年

*カバー文(作品案内 ― 文芸評論家・石井富士弥)
短編小説を読む楽しさは二つある。一つは、圧縮された鋭い作品の切り口が後々まで鮮やかに残るもの。もう一つは、こまかい行立はすっかり忘れても、その全体の得もいえわれぬ味が忘れられず、懐かしく、なにかの時に手にとって思わずひきこまれ、また何年かたってひょいと手にしてまたあらためて読み込ませられるというもの。 ― 山手作品の醍醐味はズバリ後者だ。第二次大戦中からの長い作家生活で、読者も作品のどれかはご存じだ。にもかかわらず今日、潜在的に山手ブームが再燃しつつある。何回読んでも、新しく堪能できる読み物の持つ底力の証明だ。 本巻は、そういう山手文学の基本的な人生賛歌が一作一作に試みられてゆく過程がわかる戦前の十一編(なお編集の都合上、発表年・発表誌不明の作品および、後に少年もの「少年剣士」に書きかえられた原型作品「剣客八景」を含む)を収録。読者はそれぞれの好短編から、たっぷりした日本人のこころをふたたび味わい、お酔いになることもできるだろう。

*目次
将棋主従 / 開発奉行 / 侍の道 / 名君修業 / お国流皆伝 / 剣客八景 / めおと春秋 / 約束 / 屋根の声 / 紺屋の月 / ざんげ雨 / 対談・さむらい人生A 井口秀/石井富士弥



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3 「春風街道 他10編」 (はるかぜかいどう)

*322頁 / 発行 1980年

*カバー文(作品案内文芸評論家 石井富士弥)
 だれに向ってもものおじせずに自己表現のできる現代では、本巻に現れる侍たちの生き方は一種異様なものに見えるかもしれない。 ――封建時代の日本の制度は、君主へ無私の臣従を誓わせた。収録作品の発表当時は、折しも軍国主義統制のまっただ中で、男子は赤紙一枚で戦野に狩り出されることを当たり前とする国民感情だった。だから、時代小説の世界でも、君主に尽くす武士の姿と、国のために自己を犠牲にする当時の男たちの心情とが重ね合せで描かれた。
 しかし、第二次大戦中に発表された多くの同じような題材の戦争肯定作品が霧消していった中にあった、本巻十一編に登場する男と女が、いまなおすがすがしく立ち上がってくるのはどういうことだろう? この作家は、そんな現実をあるがまま受け入れるとみせて、実はしぶとくこの狂気の時代にも汚れないさわやかな人の生き方そのものだけに眼を向けていたからだ。したがって、人間不信の現代にこそふさわしい、愛のあり方を教えてくれる人間賛歌の短編群といえよう。

*目次(収録作品)
春風街道 / 藪うぐいす / 夜潮 / 品川砲台 / 女のよそおい / 腕一本の春 / 仇討ごよみ / 死処 / げんこつ青春記 / うどん屋剣法 / 薫風の旅 / 対談・さむらい人生B 井口朝生・石井富士弥



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4 「暴れ姫君 他9編」 (あばれひめぎみ)

*314頁 / 発行 1980年

*カバー文(作品案内 ― 文芸評論家 石井富士弥)
 うまくできすぎた娯楽小説を「おハナシみたいだ」という。予想した結末をけっして裏切らない山あり川ありの物語のことだ。大衆がつくりあげた娯楽小説のパターンとは、人間生活の中でかくありたいと願う喜怒哀楽の、いわばサワリともいうべき要素が細かく組み込まれて成り立つ。
 山手文学はそれを逆手に活用する。まず読者をそのパターンの中に案内して安心させる。そらから、こんどはその作中人物にわれわれの日常感覚を吹き込む。すると、紋切り型の世界が急にいきいきとした人間味のある現実感をもってよみがえりはじめる。―ここに、永遠に読者をひきつけつづける楽しさ、懐かしさ、そして温かさの魅力が生まれる。
 戦時下発表の国策事情を反映して幕末彰義隊壊滅前後に材をとったものが多いのと、名作「夢介千両みやげ」の前奏曲「久楽屋の娘」や長編「江戸の虹」にやがて結実する好編「春の虹」など、それぞれ後年に規模大きく発展する原型を見い出せるのも本巻の特色―全十編収録!

*目次
暴れ姫君 / 海の恋 / 梅雨晴れ / 土の花嫁 / 泥人形 / 五月雨供養 / 薩摩浪士 / 久楽屋の娘 / 密使合戦 / 春の虹
 対談・さむらい人生C 井口朝生 / 石井富士弥



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5 「天の火 他11編」 (てんのひ)

*322頁 / 発行 1980年

*カバー文(作品案内文芸評論家・石井富士弥)
 勝負の争いでは、負けることがあるのも当然だ。そんなことは“戦争を知らない世代”でも、ギャンブルやスポーツの世界で気軽に承知し、またあきらめることも心得ている。だが、勝負にひたむきに命を賭けることしか考えない育てられ方をしたのが、第二次大戦までの日本人の生き方だ。これが、“大和魂”というモーレツ精神だった。その国が、昭和二十年八月十五日、初めて敗戦を経験する。そのショックは、“負けたことがない”という自信の喪失とともに、現代の若者諸君には想像もつかぬ深刻なものだった。
 本巻の十二編は、その渦中の作品「ざんぎり」を境として、明朗闊達な山手文学にも、混濁の時代相がそっくり明治維新前後の一新期に置き換えられ、人々の悩みが投影されている。それにもかかわらず、今日からみて一種清冽な緊張感を帯びた風俗歴史小説の香気を放つのは、やはりこの作者独自の人間愛ひと筋の姿勢によるものであろう。巨匠転換期の佳作ぞろいだ。

*目次
天の火 / / 桑名入城 / / 花嫁太平記 / ざんぎり / 群盲 / 明日の風 / おいらん俥 / 初恋の女 / 女菩薩 / 流れ雲
 対談・さむらい人生D 中一弥・石井富士弥



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6 「恋の酒 他11編」 (こいのさけ)

*322頁 / 発行 1980年

*カバー文(作品案内 ― 文芸評論家・石井富士弥)
 前第五巻で、激動の第二次大戦の敗戦を迎えた作者は、混迷の世相のただ中、戦争で制約されていた本来の資質を、逆に絢爛と開花させることになった。 ― 誇りと生気地のさむらいの心情を、男の精神の基本にという願いで、陽性爽快な武士群を戦時中に描き、ともすれば陰惨になりがちな軍国一色の生活環境に明るさを与え、ともに泣き笑いしてきたのがそれまでの山手樹一郎の世界だった。これが、なにものにも“自由”となった戦後から、ひと味異なる陰影を加える。
 それは「おせん」などの“さむらい”ものとは別に、「五十両の夢」ほかの庶民の哀感を描く、いわゆる“生世話(きせわ)”ものへの発展だ。その愚かしくもひたむきに生きる市井の片隅の住人たちをながめるこの作者の眼は、心友山本周五郎の世界と交響し合うものもあるが、似て非なるほのぼのとした後味をもつのは、小説にくつろぎとなぐさめを意図したこの作家の境地であろう。収録十二編から、満を持した山手文学は、爛熟した娯楽読物界の王様の階段を昇り出してゆくのだ。

*目次
恋の酒 / おせん / 女郎ぐも / お女房さま / 月に濡れる女 / 花の雨 / 春ふたたび / 花魁やくざ / 貞女ざんげ / 五十両の夢 / 恋慕酒 / 蛙の子 / 藤の茶屋 / 手拭浪人 / 対談・さむらい人生E 中一弥・石井富士弥



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7 「夕立の女 他10編」 (ゆうだちのおんな)

*314頁 / 発行 1980年

*カバー文(作品案内文芸評論家・石井富士弥)
 たとえば“山手調”というくらい、ひとりの作家の個性がひきあいに出されるだけ独自の世界を作るのはたいへんなことだ。できてしまえば、それは非難の場合にも使われることになるが、結局そのひとでなくては味わえない全体のムードを完全にもっていることは強い。
 期せずして本巻は、第二次大戦直後の混乱の娯楽小説界の、表面のみの急激で華やかな繁栄の中に、この作家がどう本来の持ち味を適合させていくか、取材舞台のさまざまな試みがわかるようなものばかりが収録された。男の潔さをさむらいの心の中の意気地に求めた姿勢が気持ちよい「兵助夫婦」「めおと雪」「むすめ伝法」「恋がたき」「さくら餅」。誠実な根性ものの、「百姓宗太」「塙検校」。庶民哀歓ものでは珍しく悲惨な秀作「江戸の文」。寓話「振り出し三両」。特に、新歌舞伎の一幕もののように冴えた「夕立の女」「きつね美女」により多く、こらからの巨匠の方向が華やかに暗示されているようだ。――山手タイプのサンプルの一冊盛り!

*目次
夕立の女 / 江戸の文 / 兵助夫婦 / きつね美女 / めおと雪 / むすめ伝法 / 恋がたき / 振り出し三両 / 百姓宗太 / さくら餅 / 塙検校
対談・さむらい人生F 高森栄次・石井富士弥



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8 「夜の花道 他10編」 (よるのはなみち)

*314頁 / 発行 1980年

*カバー文(作品案内 ― 文芸評論家・石井富士弥)
 どんな分野でも、ひとつの芸は完成しただけで立ち止まってはいられない。短編小説の場合でも、つぎにそのパターンをくずした中に自分本来の芸を発揮する方向にひかれる。これが形を極めたあとの破格のゆとりであり、才能のある作家の円熟というものであろう。
 山手樹一郎の魅力は、いつも変わらず、自分の心の方向に忠実なことだ。初期にはさわやかに男と女の交情をたたえて、規制された軍国主義の国情の中に清冽な涼風をふきこんだが、道徳観が一転し、男女の本能的な欲望が貪欲になる戦後の風潮と同じ時期に壮年期を迎えるにおよび、もうひとつ深く人間の観察に眼をひろげ、悲しい情痴の世界へもいたわりの心を向けはじめる。
 本巻に収録された十一編の作品は、短編小説の規制を自由に破りつつ、熟れた作家技術をいよいよ発揚していく名品ぞろいだ。 ― さらに、第六巻所収の「おせん」の連作「春雷」「お荷物女房」を添えて……好調期への幕びらきの佳編集!

*目次
夜の花道 / うなされる女 / 月の路地 / つがい鴎 / 舞鶴屋お鶴 / 木枯しの関 / 春雷 / お荷物女房 / 天狗くずれ / 梅の雨 / やん八弁天
対談・さむらい人生G 高森栄次/石井富士弥



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9 「浪人まつり 他12編」 (ろうにんまつり)

*308頁 / 発行 1980年

*カバー文(作品案内 ― 文芸評論家・石井富士弥)
 波瀾万丈の筋立てが代表のようだった時代小説の世界に“生活のある主人公”を登場させたのは、なにもきのうきょうの傾向ではない。
 山手樹一郎が終生、師とも慈父とも敬慕した長谷川伸 ― 庶民生活の悲喜を身をもって経験したことから、カッコよいだけでないやくざものの世界を創始し、やがて史家も賞賛する重厚な歴史小説を数多く残したこの作家の門下生たちの新鷹会〈しんようかい〉、その結集誌『大衆文芸』の同人作家たちの作品には早くからそれがあった。その同人の一人だった山手樹一郎も、本巻収録の「春の雪」などをみるとそういう視点がよくわかる。高利貸しの武士など主人公にするのは初めから異色だが、結末に至ってようやくヒューマニストであるこの作家らしいとほほえみがわくことだろう。
 人生の哀歓にみちた「浪人まつり」など、本巻収録の全十三編は、甘くなくて、それでいてほろ甘くって、うら悲しくって、そしてほのぼのとして…という山手樹一郎の練達芸の世界だ!

*目次
浪人まつり / 梅の宿 / 死神 / 柔 / 貞女 / 牝犬 / 竹の市の娘 / おぼろ月 / 壁すがた / 木枯しの旅 / 生命の灯 / 夜鷹 / 春の雪
対談・さむらい人生H 大林清・石井富士弥



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10 「槍一筋 他11編」 (やりひとすじ)

*306頁 / 発行 1980年

*カバー文(作品案内文芸評論家・石井富士弥)
 他人の子どもの恋愛ざたなら ―― たとえば、多少裕福な娘の親父が、無一物の相手の青年との仲をさこうなどとすれば、その根性をひとは鼻つまみにする。
 ところが、それがわが身になったときどうするか ―― そんな皮肉な人間の利己性を描きながら、やがてこの親父、急角度に娘の選んだ男を理解するという、からっ風吹く幕末江戸のある師走の夜の物語「笊医者」の結末は、山手樹一郎の温かい筆らしい。同じく幕末版“駅馬車”ともいうべき「夜馬車」は、彰義隊敗走の武士と維新動乱の犠牲後家との邂逅だが、淡い因縁談の形をとりながら、求め合う魂の深さを背景に感じさせて主題は重い。また、節義がとおしにくくなった現代「槍一筋」「唐人一揆」の武士たちの明快な生き方もすがすがしく胸に迫る。
 これらに、連作「霧の中」「女房というもの」ほか六編を加えた本巻収録の短編群は、大衆文学も純文学もなく豊潤な境地に達した山手文学作法の融通自在性をくりひろげ楽しませてくれる。

*目次
槍一筋 / 財布の命 / 借りた蚊張 / 夜馬車 / 唐人一揆 / 念流中興の人々 / 道場小町 / 三郎兵衛の恋 / 新妻 / 霧の中 / 女房というもの / 笊医者
対談・さむらい人生I 大林清・石井富士弥



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11 「秋しぐれ 他12編」 (あきしぐれ)

*322頁 / 発行 1987年

*カバー文(作品案内 ― 文芸評論家・石井富士弥)
 昭和三十三年(五十八歳)から三十五年(六十一歳)に至る山手短編の世界は、もうこの作家にのみゆるされた至妙な独自の甘辛自在の到達点に入ってゆく。
 宮本武蔵・小野忠明などの天才剣豪たちも、この作家の視点に立つとき、人を殺すための剣の修業をする気 違いに映る。相手が強くて打ち殺されたら、死ぬだけの話さ……という淡々たる剣術家とその妻の情愛を描いた「香代女おぼえ書」は、その山手哲学を端的に造形化した佳編だ。
 また、薄給武士が身分をかくして左官職人の内職の土こねで得た五十両の蓄えから、入れ代わり立ち代わり訪れる同僚たちの借金騒動と、浪費癖の妻との交情を扱う「土こね記」「微禄お長屋」「五十両騒動」。失業浪人街のオムニバスとでもいうべき「辻斬り未遂」「尺八乞食]「拾った女房」。銘柄の日本酒を楽しむような味わいの江戸市井の人情談「秋しぐれ」「春待月」など収録十三編は、世に棲む大人の悲惨の末のほの明かりを描いて追随をゆるさぬこの作家晩年の境地だ。

*目次
秋しぐれ / 春待月 / 雪の駕籠 / 辻斬り未遂 / 土こね記 / 微禄お長屋 / 五十両騒動 / 香代女おぼえ書 / 戸塚の夜雨 / 尺八乞 食 / 拾った女房 / 隠密返上 / 叱られ祝言
対談・さむらい人生J 市川右太衛門 / 石井富士弥
山手樹一郎映画化作品一覧(戦後編)



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12 「下郎の夢 他10編」 (げろうのゆめ)

*322頁 / 発行 1980年

*カバー文(作品案内 ― 文芸評論家・石井富士弥)
 山手樹一郎最晩年の短編収録の本巻では、「後家の春」(六十四歳)と「二十年目の情熱」(七十歳)が興味深い。主人公は共に五十代の男やもめと四十近い後家という設定。色女房のあでやかさを小説発想の手がかりとしてこの作家の登場人物も、ここにきて熟年期の恋を描くに至った。しかし、山手作品おなじみの颯爽たる青年男女の後日の姿がここにあり、彼らはそれなりに年をとりながらも、依然としてつやっぽい。そこがいかにもこの作者らしいところだ。
 一方、とある街道筋に突然現れた美女というご存じ道中ものも健在だ。「残暑の道」「江戸へ逃げる女」「曲がりかどの女」「非情なる事情」など、それぞれ微妙な書きわけの芸も頂点だ。
 また、短編では事実上の絶筆である「福の神だという女」が、手の届くところに福の神がいても、弱虫には目に入らない……と語るのは、終生、大衆に夢を与えつづけてきたこの作家が、最後の作品でメッセージを遺したものとして、象徴的に無限の余韻を残す……。

*目次
下郎の夢 / / 竹光と女房と / 後家の春 / 残暑の道 / 一夜明ければ / 江戸へ逃げる女 / 曲がりかどの女 / 非情なる事情 / 二十年目の情熱 / 福の神だという女
対談・さむらい人生K 市川右太衛門・石井富士弥